緊急コラム 要件が緩和された特別指定交流競走。それでも所属の垣根は変わらない
2019年 11月 22日
“交流元年”と位置づけられる1995年に始まった認定競走は、そもそもアラブ系競走廃止によって空いた馬房に、中央でデビューできなかった2歳馬を受け入れる目的で始まったもの。ある意味“移籍”を前提として始まったシステムで、これを利用して中央に移籍した馬から2頭のJRAGⅠ優勝馬も輩出したが、実際は地方所属のままで中央に“遠征”するための需要が上回った。それもあって全国に広がった認定競走は、2012年の改変によって大幅に減少。中央遠征そのものが、大きく減る要因になっていた。
今回の変更は、中央に移籍できる要件を満たしていれば、若駒なら地方所属のままで特指競走に参戦できるようにしたものだ。またかつてのコスモバルクや先日中央に移籍したハッピーグリンのように、芝の実力馬が古馬になって自由に競走を選択できない状況も一部緩和した。これで中央の競走で地方所属馬を見る機会は間違いなく増えるだろうが、あくまでも一部緩和されたに過ぎない。“所属”という垣根は、決してその高さを変えていないのだ。
過去にも私は“どこかの主催者に所属しなければ参加できない日本競馬”と評し、それが産む既得権の上に成り立っていることを指摘している。その既得権を肯定しているのは、中央⇔地方の交流を、ともすれば“犯罪”に位置付けようとする競馬法(注2)にあることに疑いはない。強い馬が障壁なく参加できるようにすることは、パートⅠ国である日本競馬の責務。そのためには批判のガス抜きにもならない、小手先の対応では足りないのである。
(注1)2歳150万円以上・3歳300万円以上・4歳500万円以上。これは地方生え抜きが中央に転厩するための、賞金額による要件とほぼ同じ(4歳を“4歳以上”に変えるだけ)である。
(注2)競馬法第16条「日本中央競馬会が行う免許を受けた調教師又は騎手でなければ、中央競馬の競走のため、馬を調教し又は騎乗することができない」。同22条には、地方競馬に対する準用規定もある。
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